文部科学副大臣 退任、自民党山形県連会長続投を決意。
私は今回の内閣改造を機に、文部科学副大臣を退任しました。昨年9月に就任してから、あっという間に一年近くが経ちました。
「教育再生」を大きな柱としてスタートした安倍内閣の中で、60年ぶりとなった教育基本法の改正や、それに伴う教員の免許更新法など関連3法律案の成立、といった教育改革に積極的に取り組んできました。
また、科学技術、スポーツ、文化振興の分野でも努力してきました。
HU−Aロケットの打ち上げに立ち会ったり、甲子園での選抜高校野球大会で始球式を務めたりしたことは、さまざまな問題解決に向け活動する日々の中で、明るく爽やかな記憶となって残っています。
副大臣としての最終日になった8月27日には、大阪において第1回のアジアスポーツ担当大臣会議を主宰し、北京オリンピックの成功をはじめとしたアジア地域全体のスポーツ振興について協議をし、今後も協力し合うことを確認しました。副大臣は退任しましたが、これからもこうした問題に自民党の施策をつくる立場から取り組んでいきます。
さて、7月29日、私は参議院選挙山形選挙区での敗北を受け、自民党山形県連会長を辞任する意思を表明しました。しかし、その後、同僚国会議員や県会議員の皆さんをはじめ大半の党員の皆さんから、「責任をとるという気持ちはわかるが、いまは退任するのではなく、県連会長を継続して山形県連の再生を図ってほしい。」との強い要請を受けました。
「いまは貴方が中心になって県連をまとめてほしい。何としても続投していただきたい。」という県連役員の方々の度重なる要請を謙虚に受けとめ、続投する決意をいたしました。 |